Terimakasih | ぷえぶろぐ

ぷえぶろぐ

私が思ったこと感じたこと考えたこと。

卒業前に、

私と同じマンションに住んでたバリ人の友達DONOに会いに

私の長馴染みや好きな人たち5人でバリに行ってきた。

一週間。


再会は何度あってもいい。

バリで会う彼の方が自然で、活き活きして見えた。

肌の色は日本にいたときより断然黒くて、

光ってた。

サーフィンのインストラクターをしながら、

自分の仕立て屋さんの店を構えて、

バリバリ働いている彼は、

勤勉さを日本で学んだって言ってた。


皆で彼からサーフィンを習った。

スノーボードでは木の葉落とししかできない私ですが、

サーフィンではすぐに波に乗って立てるようになった。

乗り易い波の見方もわからないし、波に垂直に体をむけるのもなかなかできなくて

DONOが手伝ってくれたからこそ立てたんだけどね。


サーフィンがあんなにおもしろいものだとは思わなかった。

それからサーファーがあんなにかっこいいものだとは思わなかった。

真っ黒で白い歯がキラり。


バリは本当に夢の島だと思った。

パラダイス。

昼間は海、山、川、

夜はディスコ、クラブ・・・。

観光客がいっぱい。

街の人たちもフレンドリー。

物売りの人までもがフレンドリー。

ぼったくりの値段を言いながらすごい笑顔。


テロのメモリアルも見た。

テロの現場は空き地になってた。

本当に街の中心部。ディスコが並んでるところの一角。

なんでバリなんだろう。

もう一箇所テロがあったところは、

有名な店が並ぶとおりの一角。

シャッターがしまったままになってた。


テロの後2ヶ月仕事がなくて会社が潰れて転職したガイドさんもいた。


お米が年に三回も取れるくらいずっと暑いから季節感がないからか

バリ人ののんびりした国民性からか

兄弟の年齢聞いてもあまりわからないし、

家族もみんなごちゃごちゃで住んでいてすごくおもしろい。


夜、星も大阪よりたくさん見えるし、

ビーチは涼しくて、月がきれいで、

深夜でも現地の若者がうろうろしていて、

リゾートしにきている外国人がめちゃめちゃいて、

バリはすごく不思議な場所だった。

にぎやかな場所だからお年よりはあまり住んでいないらしく、

街でも全然見かけない。

日本語喋る人の多さにもびっくりした。


一週間いて、2日目から体がどんどん夏モードになっていくのがわかる。

水をぐびぐび飲みたくなるし、鼻の頭に汗もかく。

夜空を見上げて日に日にお月様が太っていくのが、

毎日あっと言う間に過ぎていくなか着実に帰国日が迫ってきてるんだと思ってなんとも寂しかった。

小学校、いや、幼稚園以来というくらいに日焼けした。

鼻の頭の皮がむけてきている。

手もまっくろ。茶色い。

着いた日に、頭をモヒカンにした友達と坊主にした友達は5目くらいから頭の皮がむけだした。


日本にいたら、あれだけ、日傘を差したり、何度も日焼け止めを塗ったりするのに、

バリでは全く油断していた。

日焼けくらいいいじゃない って思わせるほどのゆったり感があそこにはある。

とてつもない現実逃避だ。

たったの6,7時間飛行機で座っているだけで、そんな場所にいける。



See you next holiday!!

ってDONOの同僚のイケメンが言ってた。

そうよそうよ、また来年行けばいいんだ!

休みを取れるように頑張ろう。


私たちのグループの内、

バリでモヒカンにした友達と、元から地黒でバリでさらに日焼けした友達は、

日本に帰る機内で外国人用の入国カードを配られていた。

国籍さえ不明にさせてしまう、そんなパワーを持った紫外線とメラニン色素に脱帽。


サーフィン用の黒い長袖シャツを着ていた私は手だけが日焼けして、

おおかみと子ヤギの話の中で、手に小麦粉をつけるおおかみのうように、

手が真っ黒。それも手首から指の付け根までの約20CMだけ。

とっても不自然。


今回の旅行はDONOなしではありえなかった。

一週間仕事を休んで

DONOが毎日運転してどこかに連れてってくれたり、

情報を探してきてくれたり、

私たちのリクエストに応えようとがんばってくれたから、

やりたいことを沢山できた部分が大きい。

それも何一ついやな顔せずに。

自分が逆の立場になったときに

ここまでできるかな。

DONOには新婚旅行で大阪に帰ってきてほしい。

お金貯めなくちゃって言ってたけど、

あれだけ社交性もあって、

がんばりやさんで、

がんがん働いてたら絶対成功すると思う。


インドネシアっておもしろい国だなぁ。

もうちょいと知ってみたいと思った。